墓の下にもう一つの墓――ヴァイキングの奇妙な埋葬の謎

歴史
Image: Gemini Forskning/Arkikon/YouTube

7世紀から10世紀頃にかけてスカンジナビアを中心に活躍したヴァイキングには、いまだ多くの謎が残っています。

ノルウェー科学技術大学が、高速道路の拡張工事で発見された船葬墓(せんそうぼ)の調査依頼を受けたとき、それはさらに大きなものとなりました。

船葬墓とは、船の船体を遺体を収める棺として使った墓のことで、当時のヴァイキング社会によく見られた埋葬習慣の一つです。(遺体を船に載せるといってもそれを海に流すのではなく墓は陸地に作られます)

大学のチームが駆け付け見つけたのは、9世紀後半の船葬墓で、中には女性が埋葬されていました。

 

船葬墓自体はこの地域では珍しいものではありません。

しかし調査チームが驚いたのは、この女性の墓の下に別の船葬墓があったことでした。

重なるようにして見つかった2つの船葬墓は100年ほどの年代差があり、なぜ同じ場所に埋葬されたのかはよくわかっていません。

 

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墓の下に100年前のもう一つの墓

 

ノルウェー中央部にあるVinjeøraという地域の農場で見つかった船葬墓には、一人の女性が横たわっていました。

女性はきれいな服を着せられ、宝石と豊かな副葬品、そして牛の頭と一緒に船に埋葬されました。

この埋葬に特別変わったものはありませんでしたが、考古学者を驚かせたのは、彼女の墓の下にもう一つの同じような船葬墓があったことです。

 

女性の船は非常に劣悪な状態で、竜骨など船体のほとんどの部分は腐っていました。

しかし留め具は保存状態がよく、その数と船の大きさなどを合わせると、墓の下にもう一つの墓がある可能性が出てきました。

その後さらに発掘を続けたところ、女性の墓の下にもう一つの墓が存在していることがわかりました。

墓はどちらも船葬墓であることから、女性の墓は古い墓の上に重なるような形で埋葬されたことになります。

二つの墓の年代は測定の結果100年ほどの期間が空いていることがわかりましたが、どうして2人がわざわざ重ねて葬られたのかは謎のままです。

 

ノルウェー科学技術大学博物館の考古学者である、レイモンド・ソーバージュ氏は、見つかった墓について次のように述べます。

 

1950年代にいくつかの二重になった船葬墓が発見されたことがありますが、それでもこれは本質的に未知の現象です。

 

墓が見つかった場所の土壌特性は骨の保存には適していないことから、考古学者は女性の頭蓋骨の一部を発見できたことに喜びました。

それは女性の骨の調査から、この二重になった墓の謎を解く情報を得られる可能性があるからです。

ソーバージュ氏は、女性の頭蓋骨のDNAからより多くの情報を得ることができるかもしれないと話しています。

 

ヴァイキングは戦利品を装飾品として再利用していた

 

副葬品のブローチ Photo: Raymond Sauvage, NTNU Vitenskapsmuseet

 

女性の副葬品には十字架のブローチが含まれていました。

このブローチはヴァイキングが作ったものではなく、おそらく略奪か戦争で手に入れた外の国のものです。

考古学者によると、ヴァイキング時代にはアイルランドやイギリスから持ち込まれた工芸品が重要な意味を持っていました。

 

ノルウェー科学技術大学の歴史学部の研究者であるアイナ・ヘン・ペテルセン氏は、ブローチについて、これがアイルランドに特有の装飾とデザインであり、かつてはハーネスの金具の一部として使われていたと述べます。

 

ヴァイキングの間では、装飾的なハーネスの金具を分割してジュエリーとして再利用することが一般的でした。

 

ブローチは元々は馬具の一部であったと推測され、女性はそれを、背面の留め具の1つにひもなどを通すことでアクセサリーとして使用していたと考えられています。

ペテルセン氏によると、こうした外の国の装飾品を加工したブローチの類は、武具などの装備と一緒に埋葬された人物の墓で発見されることがあります。

これは埋葬されている人物が生前に、航海や戦争に参加していたことを表しています。

 

ペテルセン氏は、ヴァイキングが襲撃や貿易、遠征に参加することは、自分自身と家族の地位を高める上で重要だったと語ります。

 

襲撃から得た品を宝飾品として使用することは航海の参加者であることを意味し、他の人物やコミュニティとの明確な違いを示すものとなりました。

 

ヴァイキングにとって襲撃や遠征は重要な社会的活動であり、それは自分だけでなく家族の地位を保証することにもつながりました。

 

それは女性の墓の下に埋葬されていたもう一つの墓からも知ることができます。

 

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同じ場所に埋葬されたのは家族であることを証明するため

 

女性の墓の下にいたもう一人の男性  Illustration: Arkikon 

 

女性の墓の下にあったもう一つの墓は8世紀頃のものと推測され、槍や盾、片刃の剣などと一緒に男性が埋葬されていました。

男性と女性の生きた年代には100年ほどの差があります。

2人の間にはどんな関係があったのでしょうか。

 

考古学者は当時の家族の重要性を指摘します。

この時代の土地は、家族が5世代にわたって所有していなければそれを証明することができませんでした。

土地や農場の所有権に疑問や問題が生じた場合は、必ずそれに関係した家族が追跡されました。

これは文化や社会的規範をほとんど文章で残さなかったヴァイキングにとって、非常に重要な財産管理の仕組みです。

つまり2人には血縁関係があり、同じ場所に葬られたのは、男性から女性、そして女性を埋葬した家族というつながりをもって土地の所有を主張した結果であると考えられます。

 

8世紀の男性は、おそらくその副葬品から、多くの財産を略奪や遠征、貿易などで獲得しました。

彼はそれを元に農場などを運営していたかもしれませんが、それらを家族や次世代に残せるという保障はありませんでした。

男性の子供やその子供たちは、自分たちが家族であり財産を受け継ぐ正当性があることを、墓の共有によって証明した可能性があります。

 

もっともこれらは今のところ推測でしかありません。

研究チームはこの2人の関係性について現在も調査中であり、女性の残した骨から新たな情報が得られることに期待しています。

 

 

 


 

ヴァイキングは略奪や独特の文化や宗教観、そしていつの間にかヨーロッパと同化して消失していったことなど、多くの謎と魅力にあふれています。

今回見つかった重なり合った船葬墓も、そうしたヴァイキングの不思議さを物語っています。

 

2人の墓はフィヨルドを見下ろす絶景の場所に位置していました。

発掘に関わったソーバージュ氏は、この墓は景観の中にある記念碑だったに違いない、と述べています。

2人が家族であったかどうかはわかりません。

しかし彼らを埋葬した者たちが、死者のやすらぐ場所として海の見える場所を選んだのは確かです。

 

来年の夏には墓の周辺地域がさらに発掘される予定になっています。

調査によってヴァイキングの新たな一面が明らかになることでしょう。

 


 

 

せつな
せつな

重ねて埋葬されると下の人は結構窮屈かもしれない……

ふうか
ふうか

戦士はもうちょっと丁寧に葬ってやってほしい気がするな

しぐれ
しぐれ

でも海が見える場所だから、退屈しなくていいんじゃないかな

 

 

 

References: Norwegian SciTech News