今から5,000年近く前の紀元前27世紀のエジプトには、女性の医師が存在していたとされています。
彼女はここ数十年で、科学や医学、工学の歴史における女性の代表者の一人として持ち上げられるようになりました。
「メリト・プタハ(Merit Ptah)」という名前のこの女性は、歴史上最も古い医師とされています。
科学史に名を残した功績から、金星には彼女の名前にちなんだクレーターがあります。
しかし新しく行われた調査によると、女性医師としてのプタハは実在していなかった可能性があります。
あるフェミニストの医師によって生み出された通説
コロラド大学の医学史家ヤクブ・クヴィエシンスキー(Jakub Kwiecinski)氏は、メリト・プタハの名前がいつ頃から登場したかについて調査し、その起源が、今から80年ほど前にさかのぼることを突き止めました。
メリト・プタハの名前は、女性の社会進出や女性としてのあり方に関する様々な話題に登場します。
プタハは金星のクレーターだけでなく、エジプトに関する歴史の本やコンピューターゲームの中にさえ登場しています。
しかしクヴィエシンスキー氏は、彼女に対する多くの言及があるにもかかわらず、実際に存在していた証拠は見つけられなかったと話します。
メリト・プタハの名前は、ある人物によって紹介されたことがきっかけで世界に広まっていきました。
カナダの医師でフェミニストでもあったケイト・キャンベル・ハード・ミード (Kate Campbell Hurd-Mead)は、1938年に「医学における女性の歴史:最古から19世紀の始まりまで(A History of Women in Medicine: From the Earliest of Times to the Beginning of the Nineteenth Century)」と題する本を出版しました。
ミードはこの本の中で、古代エジプトの女性医師について言及しています。
彼女は、メリト・プタハと呼ばれる女性医師が紀元前2730年頃の第2王朝時代に活躍していたと書き、また王家の谷で見つかったプタハの息子の墓には、母親(プタハ)が「医長」であったことを示す文字が刻まれていた、とも付け加えています。
しかしこの書き方には誤りがあります。
クヴィエシンスキー氏は、王家の谷の墓が使われていた時代が、紀元前1539年から紀元前1075年までの間であることに着目し、ミードが言及しているプタハの活躍した時代にズレがあることを指摘しました。
またメリト・プタハという名前自体が第2王朝時代に存在していた可能性はあるものの、これまでに判明している古代エジプトの女性の名前リストにはこの名前が登場していないとも話しています。
では一体なぜメリト・プタハは、最も古い女性医師であると信じられてきたのでしょうか。
クヴィエシンスキー氏は、ミードが勘違いをしたことが原因だとしています。
メリト・プタハは真の女性のあり方を象徴する存在
紀元前1350年頃の貴族Ramose Photo by David Schmid/Wikimedia/CC BY-SA 3.0
エジプトのサッカラにある遺跡の一つから見つかった、紀元前2400年頃の第5王朝時代の役人の墓には、自分の母親が「ペセシェット(Peseshet)」という名前であり「医師の監督者」であったと記されています。
この墓には母親だけでなく父親の名前も刻まれており、それは「プタハ神の平和」という意味を持つ「プタハホテップ(Ptahhotep)」という名前でした。
ペセシェットの名前が息子の墓に記されていたという状況は、ミードが本の中に書いたプタハの状況と同じです。
ペセシェットに関してはミードの個人図書館から、彼女がこの名前を知っていたことを示すいくつかの証拠が見つかっています。
さらにミードは、王家の谷に埋葬されていた紀元前1350年頃の貴族、「ラモーゼ(Ramose)」の墓に、彼の妻の名前が刻まれていることも記録に残しています。
ラモーゼの妻の名は「メリト・プタハ」でした。
クヴィエシンスキー氏は、ミードがメリト・プタハとペセシェットを混同していたと考えています。
残念なことにミードは自身の本の中で、偶然にも古代の治療者の名前、彼女が住んでいた時代、そして墓の場所を混同してしまいました。
ペセシェットは古代エジプトの女性の医師でした。
しかしメリト・プタハについては、貴族の妻であるということ以外に詳しいことがわかっていません。
また両者の生きていた時代には1,000年以上の開きがあります。
ミードは、ラモーゼの墓に刻まれていた彼の妻の名前「メリト・プタハ」と、そこから1,000年以上さかのぼった時代の別の墓に刻まれていた女性医師の名前、「ペセシェット」を混ぜ合わせてしまいました。
二人の古代エジプト女性のキメラである「メリト・プタハ」と、彼女が世界最古の女性医師であるという通説は、ミードの勘違いによって生まれたものです。
クヴィエシンスキー氏は、メリト・プタハが最古の女性医師ではなかったとしても、女性が数千年前のエジプトで働いていたという事実や、プタハが象徴する女性の重要性などを損ねることにはならないと話します。
そしてメリト・プタハが、現代のフェミニスト闘争の真の英雄であり、女性を歴史に書き記そうとする取り組みの象徴的な存在であると強調しました。

ミードが書いたメリト・プタハの活躍した時代が、モデルになったペセシェットよりも古い年代なのはどうしてなんだろう?

ミードがフェミニストであったことが関係しているのかもしれないな。最古の医師が女性である方がなにかと都合がよかったのだろう
References: ScienceAlert