アバディーン大学の考古学者チームは、スコットランドのアバディーンシャーにある「タップ・オノス (Tap O’ Noth)」と呼ばれる丘陵地帯を調査し、この場所がスコットランド最大の古代集落の一つであったと報告しています。
現在のタップ・オノスは、数百人が暮らす村を見下ろす静かな丘でしかありません。
しかし考古学的証拠は、かつてのタップ・オノスが、ローマ帝国時代のヨーロッパ最大の集落および砦だった可能性を示唆しました。
タップ・オノスは、ほとんど記録の残っていない謎の民、「ピクト人」の一大集落でした。
4,000人が生活していたピクト人の砦「タップ・オノス」
アバディーン大学の考古学者たちは、2011年からタップ・オノスとその周辺地域で調査をはじめました。
調査のきっかけになったのは、タップ・オノスのふもとにあるライニーの村で1978年に発見された、「ライニーマン (Rhynie Man)」と呼ばれる石碑です。
「ライニーマン」の上部。描かれているのはケルト神話の神「エスス (Esus)」とされる (Photo: University of Aberdeen)
調査はまずライニーマンの石碑が発見された周辺から行われました。
この低い谷からは、地中海産のワインや、西フランスで作られたガラス、さらには集中的な金属加工が行われていた証拠などが発見されました。
これらはピクト人の謎に迫る重要な考古学的証拠でしたが、谷を静かに見下ろしているタップ・オノスにはそれ以上の発見がありました。
タップ・オノスの調査に移ったチームは、この丘にかつてたくさんの住居が立ち並んでいた痕跡を発見しました。
放射性炭素年代測定から、それらの住居の多くは5~6世紀に建てられており、なかには3世紀頃にまで遡るものもありました。
住居の数は少なくとも800あり、一つ一つの家には4~5人が住んでいたと推定されました。
これは、現在数百人しか人の住んでいないこの地域に、かつて4,000人近いピクト人が住んでいたことを示すものです。
長年フィールドワークに従事してきた、英国アバディーン大学の考古学者であるゴードン・ノーブル教授は、タップ・オノスはこれまで青銅器時代または鉄器時代のものと考えられていたと説明したうえで、「タップ・オノスがピクト人の時代に大集落であったという発見は、自らのキャリアのなかで最も驚くべきことだった」と話しています。
現在のライニー村。中央右の小高い丘がタップ・オノス (Richard Slessor/CC BY-SA 2.0/Wikimedia Commons)
5~6世紀頃のタップ・オノスは巨大な砦として機能していたと考えられています。
ドローンを使った調査では、多くの建物が道に沿った形か、あるいはいくつかのグループとして配置されており、またそれぞれのグループには、一つずつ大きな建物が割り当てられていたことが確認されました。
これは砦の中に、何らかの階層的な組織があったことを示唆するものです。
砦としてのタップ・オノスのサイズは、約16.75ヘクタールで、これは中世初期のイギリスにあったどの砦よりも大きいものです。
この時代の最も大きな砦として知られているものは、スコットランドのバーグヘッドにある砦(5ヘクタール)や、イギリスのティンタジェル城(5ヘクタール)、キャドベリー城(7ヘクタール)などがあります。
5~6世紀に4,000人が住む砦が存在していたという事実は、従来の考古学の想定をはるかに超えるものです。
通常この規模の砦が登場するのは、12世紀頃になります。
ノーブル教授はタップ・オノスでの発見について、今後も継続的な調査が必要であるとしながらも、「この結果は本当に驚きであり、ピクト人についていかに多くのことを学ばなければならないのかを示している」と話しています。
ピクト人は1世紀頃に登場して8世紀には姿を消したんだって
かつてたくさんの人がいながら今はのどかな田園地帯というのも歴史を感じるな
References: University of Aberdeen