ヴァイキングと北欧神話の神々の組み合わせは多くの人の想像を刺激してきました。
とくにコンピューターゲームの中における神々――オーディンやロキやフレイヤなど――は現在でもモニターの中を闊歩しています。
同じようにスカンジナビアやバルト海で海賊業に勤しんでいたとされるヴァイキングも、その勇猛果敢なイメージと、いつの間にかヨーロッパ文化に溶け込んで消失してしまう物悲しさは人々の感心を引き付けてやみません。
歴史家によると北欧の神々はキリスト教の伝来により消滅していったと考えられています。
またヴァイキングの持つ粗暴なイメージは、彼らと神との接点について疑問を抱かせています。
最近発表された研究によると、ヴァイキングと彼らの文化において神々が果たしていた役割は従来考えられていたものとは異なります。
ヴァイキングの海賊行為や略奪といった暴力性と、神の持つ道徳性は、果たして彼らの社会に共存していたのでしょうか。
ヴァイキングの神は他の宗教の神とは異なる
スウェーデンのウプサラ大学の考古学者であるBen Raffield氏は、ヴァイキングの社会には道徳的な神は存在していなかったと述べています。
これは神が彼らの生活に存在していなかったのでなく、キリスト教のような罰の概念が彼らの宗教心になかったことを示しています。
Raffield氏は一般的に信じられているようなヴァイキング社会に対する誤解を解くために、様々なサーガや詩、そして信仰について調べました。
西暦800年頃にキリスト教の宣教師がやってくるまでは、ヴァイキングの社会には歴史を書き残す文化がないものとされていました。
しかし調べていくと、宣教師とはじめに接触した者は、ヴァイキング社会の中でサーガや詩を書き留めていた者たちでした。
ヴァイキングの風習や信仰については、宣教師たちがキリスト教を正当化するためにそれらを貶めたとされる見解が広く伝わっていますが、実際にはキリスト教が入ってくるずっと前から、ヴァイキングは自分たちの文化を書き記していました。
Raffield氏の研究の目的は、「ヴァイキングたちが彼らの神々についてどのような信念を抱いていたか」にあります。またヴァイキングの社会の形成に、神という超自然的な存在がどのように関わっていたのかを探る目的もあります。
ヴァイキングの神とキリスト教やイスラム教の神とは根本的に何が違うのでしょうか。
歴史家や心理学者は、キリスト教やイスラム教などの神は「罰の脅威」によって人々をまとめてきたと考えています。
これらの神は過ちを犯した人間を罰することで信仰心をつなぎとめてきました。
しかしヴァイキングの神は少し違います。
北欧神話とヴァイキング
戦争と死の神オーディン Emil Doepler-Odin und Fenriswolf Freyr und Surt:public domain
Raffield氏が導き出した結論は、ヴァイキングにとっての神はキリスト教における神とは根本的に異なる、というものでした。
サーガや詩、そして現存している構造物などから、ヴァイキングが神を超自然的存在だと信じていたことはわかっています。
これは戦いの際に神々に対する宣誓を行ったという記述や、戦いの神であるオーディンの装飾を施した兜などからうかがい知ることができます。
しかしサーガの一部には、ヴァイキングの神々が他の宗教の神とは異なる性質を持つことが示されています。
あるサーガの一説ではスカンジナビアに伝わる契約方法が記されていて、そこでは神との契約に失敗したヴァイキングが様々な方法で命を落とす描写が記されています。(中でも頻繁に登場する方法は自分の刀に突き刺さって死ぬことでした)
ここで登場する神は人間に愛の手を差し伸べるのではなく、もてあそぶような存在です。
Raffield氏はこうした証拠から、「ヴァイキングの神々がキリスト教のような厳格な罰をもって人々を導くような性質ではなかった」と述べています。
しかしなぜヴァイキングは神を、自分たちを救うような絶対的存在として描かなかったのでしょうか?
それは彼らの持つ独特の終末観にあります。
ヴァイキングは神でさえ不滅の存在とはみなしていませんでした。
北欧神話では「ラグナロク」とよばれる大惨事が全てを死に至らしめ、神々もその運命を免れないと信じられていました。
そのような観念はヴァイキングの神に対する考え方もあいまいにしました。
彼らの神は社会規範に違反した人々を罰するかもしれないし罰しないかもしれません。また神自身が人間を傷つけるような状況を積極的に作り出すこともあります。こうしたことからヴァイキングは、神が人間を罰することに対して特に心配していなかったように思います。
Raffield氏はラグナロクの存在が、ヴァイキングの神に対する全幅の信頼を奪った一因だと考えています。
ヴァイキングは、神以上にあいまいで不確かな存在を信じていました。
それはエルフ、ドワーフ、オーガ、トロール、そして巨人といった超自然的存在です。
彼らはいいことばかりでなくやっかいな問題もヴァイキングにもたらす存在です。
しかしヴァイキングは神ではなくこれらの超自然的存在を選びました。
ヴァイキングは神を、目的を成功させるために祈ったり助けを求めたりする対象としてみなしてはいませんでした。
ヴァイキングにとって神は、自分たちの運命を委ねるにはあまりにもあいまいで気まぐれすぎたのです。
ヴァイキングが最も信仰したもの、それは「運命」
運命に介入するディースという女神 Emil Doepler-Idise:public domain
ではヴァイキングは何を重要視していたのでしょうか。
それは運命の概念でした。
彼らはグループの運命を決めるために――神に祈るのではなく――物を投げたり布を織ったりする呪術的行為を行っていたことがわかっています。
ヴァイキングの死生観の根底にはラグナロクがあります。
神に祈ったところで行き着くところは死……であるならばいっそサイコロでも振って運命に身を委ねよう、というわけです。
Raffield氏は、ヴァイキングにとっての神は、現代の私たちにとっての神ほど重要な存在ではなかったと語ります。
またたくさんの神が存在し、そのどれもが気まぐれで非道徳的であるギリシャ神話とローマ神話をひきあいに出し、結局のところ、超自然的な力は社会の複雑さにとってそれほど重要ではないと結論づけています。
Raffield氏は人間の社会と神との関係について次のように述べています。
人間には超自然的な力に頼ることなく、一緒に暮らし一緒に仕事をする能力があると思いたい。
Raffield氏は、人間は神に頼ることなく自分たちで社会を築いていく能力があることを信じるべきだ、と結んでいます。
神頼みをしたところで最後に頑張るのは自分なわけですから、当時のヴァイキングたちはとても現実主義的な考え方をしていたのかもしれません。
そして同時にエルフやドワーフ、オーディンやラグナロクといったファンタジーっぽい要素についても理解があったわけですからどこか親近感がわいてきますね。
運命やいたずらな神々を適当に信じつつ最終的には自らの力が全てと悟る……ヴァイキングってカッコいい!
HPがなくなっちゃうよー!
……ここはオーディンを召喚するしかない!
ん?お前たちまだ遊んでいたのか。今日はもう遅いから早く寝るように――プチッ
あー!電源がー!
こ、これがラグナロクなのか……
Source:livescience