イタリアのポンペイ考古学公園は、遺跡の発掘調査から、新たに二人の男性の頭蓋骨と骨が見つかったと発表しています。
古代ローマの商業都市であったポンペイは西暦79年、ヴェスヴィオ山の大噴火により灰に包まれ、住民数千人が犠牲となりました。
その後ポンペイは、16世紀になるまで忘れ去られていました。
ポンペイでの発掘調査が本格的に始まったのは18世紀に入ってからで、現在でも多くの遺物や当時の生活用品などが見つかっています。
地下に逃げる途中で命を落とした主人と奴隷
骨は、チヴィタ・ジュリアーナと呼ばれる豪華な別荘エリアの灰の中に埋まっていました。
この部分は、邸宅の地下につながる廊下で、灰の高さは少なくとも2メートル以上ありました。
考古学者は灰を慎重に取り除き、小型カメラで骨や歯の状態を記録したあと、遺体のあった空洞部分に石膏を流し込みました。
1800年代に開発されたこの手法は、遺体を彫像のように見せることができます。
What the writer Luigi Settembrini defined as “the pain of death that takes on body and form” once again takes shape in #Pompeii, in the form of men who lost their lives during the eruption, the traces of whose death throes have remained imprinted in the ash for 2000 years. pic.twitter.com/SKXG5AM8Iq
— Pompeii Sites (@pompeii_sites) November 21, 2020
骨の分析から、一人は年齢が18歳から25歳、もう一人が30歳から40歳で、どちらも男性であることがわかりました。
若い男性の椎骨には圧迫された跡がありました。
一方、中年男性の骨は強い構造をもっていました。
これは二人が主人と奴隷という関係であり、若い男性が肉体労働に従事していた可能性を示唆するものです。
また灰の層に残されたひだの形状から、服装の手がかりも得られています。
若い男性はウールの短いチュニックを着ており、中年男性はチュニックに加え、さらにマントを羽織っていました。
考古学者は遺体の状況から、二人の男性は、火山の噴火による最初の衝撃には耐えたものの、その後やってきた高熱の灰に巻かれ命を落としたと考えています。
考古学公園のディレクターであるマッシモ・オザンナ氏は、「犠牲者は、おそらく地下空間に避難所を求めてやってきたが、燃える雲はポンペイに到着し、人々を殺していった」と述べています。

火山の噴火直後は生きていた人も多かったみたい

年の離れた男性同士……どんな関係だったのか気になる……