イングランド東部リンカンシャー州にある中世の修道院跡で見つかった大量の埋葬された遺体は、当時のヨーロッパの人口を壊滅的なまでに減少させたペスト(黒死病、Black Death)の犠牲者でした。
イギリスでは1348年から1349年の間に、人口の約半分がペストの犠牲になりました。
ペストの犠牲者の埋葬場所はこれまでロンドンでいくつかが発見されているだけで、田舎の農村部で見つかるのは極めてまれな事例です。
修道院はペストの犠牲者の収容所だった
1139年に建てられたソーントン修道院(Thornton Abbey)は、1539年に閉鎖されるまで、宗教の中心地としてだけでなく、巡礼者の支援や病気の人たちの治療など、様々なサービスを提供する施設として機能していました。
墓地はソーントン修道院の敷地内にあった病院の発掘調査で見つかり、そこにはきれいに並べられた形で48の遺体が埋葬されていました。
遺体の年代は、男女子供を含む1歳から45歳までで、そのうち16の骨のDNAからは、ペストの病原体である「ペスト菌(Yerisinia pestis)」が検出されています。
(University of Sheffield/Antiquity)
この時代のイングランド東部ではペスト以外にも致命的な病気が蔓延していたことが知られていますが、研究者は、遺体の放射性炭素年代測定の結果から、ここに埋葬されている遺体がペストによる犠牲者であると推測しています。
考古学を専門に扱う学術誌Antiquityに掲載された研究を主導した、シェフィールド大学の考古学教授ヒュー・ウィルモット(Hugh Willmott)博士は、ペストの犠牲者の集団墓地が発見されることはまれであり、特に農村地帯での発見は例がないため重要であると述べます。
博士は、ペストの蔓延により周辺地域の墓地が埋まったため、死者が修道院に次々と運び込まれたと指摘し、「これはあまり見られない、田舎の大惨事のスナップショットである」と表現しました。
丁寧な埋葬は修道士が死者に敬意を払っていたことの証
(University of Sheffield/Antiquity)
遺体には女性が含まれていたため、死者が修道院以外からやってきたのは確実です。
しかし修道士たちは、ひっきりなしにやってくる犠牲者を無下に扱うことはしませんでした。
見つかった遺体には、死者にかぶせる白い布が巻かれていた痕跡がありました。
これはペストの大流行というパンデミックの際にも、修道士たちが死者に対する敬意をもっていたことの表れです。
また死者たちは8列にきれいに並べられ、足の部分が下の列の遺体に触れないよう丁寧に埋葬されていました。
教会で埋葬されることは中世の人々にとって非常に重要でした。
ウィルモット博士は、「彼らは可能な限り敬意を持って死者を扱った」と述べ、修道院がペストの犠牲者の最後の希望を叶えたと説明しました。
そして、「この発見は歴史的悲劇を反映しているが、同時に小さな農村コミュニティに関する知られてこなかった詳細を提供するものでもある」と話しています。

ペストが流行している混乱時にも死者を丁重に扱っているのは立派なことだな

修道院はいろんな意味で人々の希望の場所だったんだね
References: The Guardian