西暦79年のヴェスヴィオ山の噴火によって灰に沈んだ町ポンペイでは、現在でも精力的な発掘作業が進められています。
米国チューレーン大学の考古学者であるアリソン・エマーソン(Allison Emmerson)教授の属する調査チームは、最近の発掘調査から、ポンペイの町が組織的なリサイクルを行っていた証拠を発見しています。
2,000年近く前のローマ人は、床下暖房、水道橋、コンクリートの使用など時代の先を行くエンジニアであっただけでなく、リサイクルの達人でもありました。
城壁の外で発見されたゴミの山は、単に捨てられたのではなく、再利用のために収集されたものでした。
町の外で見つかったゴミの山は再利用のために集められたもの
エマーソン教授たちのチームは、ポンペイ市内の北側にある外壁付近の至る所でゴミが山積みになっている形跡を発見しています。
一部のゴミの山は高さが数メートルもあり、そこにはセラミックや石膏の破片が含まれていました。
当初これらのゴミは、ヴェスヴィオ火山噴火の17年前(西暦62年2月5日)に起きた地震によってできた瓦礫の一部であると考えられていました。
そのためこれまでに多くのゴミが調査の対象から外れ処理されてきました。
しかし発掘作業の進行にあわせてゴミの山も発見され続けたため、改めて科学的な分析が行われるようになります。
米国シンシナティ大学が主導した発掘調査に参加したエマーソン教授は、ポンペイがどのようにして建設されたのかを研究する傍らゴミの分析を行い、その結果、「町の一部はゴミで出来ていることがわかった」と述べ、これらはただ捨てられたのではなく、収集、仕分けを経た後、壁の材料として売られていたと結論づけています。
多くのゴミの山が見つかったポルタエルコラーノ地域 (Image Credit: Allison Emmerson)
分析では土壌サンプルを使ってゴミの動きを追跡しました。
これにより、発見されたゴミがどこからやってきたのかが分かるようになります。
ゴミの分析は、トイレや実際のゴミ捨て場などに捨てられていたゴミに、有機質を含む土壌が残されていたことを示す一方、町の外のゴミには多くの砂の成分が含まれていることを明らかにしました。
ポンペイの城壁や住宅に使われていた建材には、タイルやアンフォラ(陶器)の破片、さらにはモルタルや漆喰の塊などが含まれていたことがわかっています。
これは町の外のゴミがかつて住宅であったものの残骸であり、また町の中の住宅がリサイクル資材によって建てられていたことを示唆しています。
実際住宅の壁は、中身がゴミであることを隠すために多くの漆喰で塗り固められていました。
また住宅のあった場所の土壌からは外のゴミと同じ成分が検出されています。
おそらくポンペイには、ゴミを集めて仕分けをし、そして販売するためのリサイクルの仕組みが存在していました。
エマーソン教授は、ポンペイの人たちは廃棄物の管理に関して現代とは違うアプローチをとっていたと述べ、「ポンペイ人がゴミの近くに住んでいたのは、わずらわしさやインフラの欠如のためではなく、ゴミを組織的に管理していたからだ」と強調しました。
そして「この事実は、現代のゴミ問題にも関連している」と指摘し、実際に廃棄物を効果的に管理している国々は、ポンペイのように、ゴミを単純に捨てるのではなく再利用を優先していると話しています。
遊興の町として知られるポンペイがリサイクルに積極的だったのは意外だね
使えるものは最後まで使う……見習いたい……
References: The Guardian