アルプスの氷床コアが明らかにするトマス・ベケットの殉教とイングランドの大気汚染

歴史
(Public Domain/Wikimedia Commons)

1170年、カンタベリー大司教トマス・ベケットは、仕えているイングランド王ヘンリー2世の放った4人の刺客によって命を落としました。

王と教会の権力のあり方を巡る確執の末に起きたこの暗殺事件は、ベケットの異例な速さでの列聖につながります。

その後、殉教者となったベケットを支持する層の圧力に屈したヘンリー2世は、ベケットの墓前で懺悔を行い、教会に対し歩み寄る姿勢を見せます。

ヘンリー2世は教会への償いとして、多くの修道院を新たに建設することを約束し、それによりイングランドの工業は活況を呈するようになりました。

 

修道院の建材(屋根や水道管やステンドグラスなど)に使われる鉛の需要の増加は、イングランドの大気を汚したと考えられますが、それを示す証拠はなく、当時の大気汚染がどの程度だったのかははっきりとはわかっていません。

現在「大気汚染」と呼ばれるものは、18世紀の産業革命から始まったものと考えられています。

 

イギリスの科学者チームはアルプスから採取した氷床コアの分析によって、12世紀のイングランドで既に大気汚染が起こっていたことを明らかにしています。

ヘンリー2世によるトマス・ベケットの暗殺は、イングランドの経済を活発にするだけでなく、大気汚染のきっかけにもなりました。

 

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トマス・ベケットの暗殺から始まったイングランドの大気汚染

 

イタリアとスイスの国境にあるアルプスの山頂 (Public Domain/Wikimedia Commons)

 

英国ノッティンガム大学の考古学教授であるクリストファー・ラブラック(Christopher Loveluck)氏たちの研究チームは、スイスとイタリアをまたぐアルプスにある、ニフェッティ(Colle Gnifetti)氷河から全長72メートルの氷床コアを採取し、そこに含まれている気泡から年代ごとの大気について分析を行いました。

氷河はその堆積の過程で――樹木の年輪のように――空気を閉じ込めるため、現代の科学者は氷に含まれる気泡から当時の大気の状況を知ることができます。

研究チームは高感度レーザーを使って約800年前の氷に含まれていた気泡を分析し、当時の空気が塵と鉛の成分に満ちていたことを発見しました。

12世紀の大気モデリングから、これらの元素は北西からの風に乗って、イングランドからヨーロッパに流れてきたものと推定されました。

 

研究者は、当時ヨーロッパで最も生産性の高かった鉱山地域である、ピーク・ディストリクトやカンブリア地方の鉛や銀に関する税務記録をあたり、空気の汚染の度合いと生産量の関係性についても調査を行っています。

その結果金属の生産量は、トマス・ベケットとヘンリー2世が争っている間に低下し、ベケット暗殺後になって再び上向き始めていたことが確認されました。

ラブラック教授は気泡の分析結果から、「1169年から1170年の間に起こったヘンリー2世とトマス・ベケットの確執は、その年の金属の生産を低下させた」と述べています。

 

氷河からの証拠は、ヘンリー2世の教会への援助が工業を盛んにしたことを明らかにしています。

研究者は気泡のデータが、1170年から1220年の間に起こった様々な政治的な出来事を裏付けるための、明確な証拠になりうるとしています。

12世紀のイングランドの空気の清浄度は、統治者の政策によって変わりました。

ラブラック教授は、「氷床コアは、鉛の生産が1人の王の死によって崩壊した後、次の君主と共に再び上昇したことを正確に示した」と述べ、気泡はヘンリー2世のほかにも、(後の王である)獅子王リチャードやジョン王の治世についても明らかにしたと説明しています。

 

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研究者は、「この時代の鉛の採掘と製錬の規模は、17世紀や18世紀に見られたのと同じレベルの汚染を引き起こしていたと考えられる」とし、大気汚染が産業革命によって始まったとする考え方は間違っていると結論づけています。

 

研究結果は「Antiquity」に掲載されました。

 


 

 

 

しぐれ
しぐれ

氷の中の空気からいろんなことがわかるんだね

ふうか
ふうか

トマス・ベケットも、よもや自分の死が大気汚染の引き金になるとは思わなかっただろうな

 

References: BBC