イギリスの豪華客船タイタニック号は、処女航海でサウザンプトンからニューヨークに向かう途中に沈没しました。
タイタニックの沈没は大きなニュースになり、世界最大の客船が海の藻屑と消えた悲劇は、その後様々な分野で形を変え語り継がれてきました。
タイタニック号は1985年にアメリカとフランスの合同部隊により沈没場所が特定され、深い海の底に眠る船体の姿が初めて写真に納められています。
最近になってこの合同部隊に参加していた人物が重い口を開き、沈没したタイタニックの調査には、隠された別の目的があったことがわかりました。
タイタニックを見つけることが目的ではなかった
海底に沈んだタイタニックの船首部分
タイタニック号の発見作業に参加していたロバート・バラード氏はCNNのインタビューに答え、「あのミッションは、海底に沈んだ原子力潜水艦を調査するためのものだった」と語りました。
バラード氏は当時アメリカ海軍の指揮官で、ウッズホール海洋研究所の科学者でもありました。
アメリカ海軍は1960年代に沈没した2隻の原子力潜水艦、「スレッシャー」と「スコーピオン」の情報を欲していました。
タイタニックが発見された1985年はアメリカとソ連が冷戦状態にあり、アメリカは原子力に関する情報がソ連に漏れるのを警戒していました。
バラード氏は「アメリカは世界にそのことを知って欲しくなかった」と述べ、沈没した原子力潜水艦の調査を隠すために、タイタニックが利用されたと明かしました。
アメリカ海軍は、タイタニックを発見するためではなく、2隻の潜水艦を発見するためにのみ資金を提供していました。
沈没したアメリカの2隻の原子力潜水艦
スレッシャー原子力潜水艦
スレッシャー原子力潜水艦は1961年に就役。
幾度かの原子炉トラブルにより修理を余儀なくされる。
様々な修理を施した後の1963年の4月9日、航行試験中に機体が破損し、乗員129名全員が死亡した。
スコーピオン原子力潜水艦
スコーピオン原子力潜水艦は1960年に就役。
何度も敵領内に侵入したことで殊勲賞を受ける。
1966年にはソ連領内で相手のミサイル発射の瞬間を撮影、その後ソ連艦を振り切り帰還するという特殊任務を成功させる。
しかし1968年母港へ帰投中消息を絶ちその後沈没したことが判明、乗員99名が死亡した。
アメリカ海軍の歴史の中で原子力潜水艦が沈没した例はこの2隻のみです。(動力が原子力でない潜水艦は過去に何隻か沈没しています)
海軍は教訓を生かすため「SUBSAFE(The Submarine Safety Program)」とよばれる、潜水艦の安全を維持するためのプログラムを導入しました。
それ以後、潜水艦の事故は起きていません。
タイタニック号発見の真実
サウザンプトンを出港するタイタニック号
タイタニック号の残骸は12,000フィート(3,600m)以上の深さの海底で、1985年に発見されます。
ニュースは大きく報道されましたが、報道陣の誰一人として、この発見がスレッシャーとスコーピオンの捜索の副産物であったことには気づきませんでした。
合同捜索チームは2機の原子力潜水艦を首尾よく発見した後、残された12日間を使ってタイタニックを発見しました。
バラード氏はタイタニックを発見したときのことを次のように振り返っています。
タイタニックを見つけたときにはとても興奮したよ。まるで試合終了間際に決めた勝利のゴールみたいだった。
当時の海軍のスポークスマンは本当の目的を隠すためニューヨークタイムズに対し、「我々は海洋調査をしているだけだ」と語り、またバラード氏の所属していたウッズホール海洋研究所の所長ロバート・スピンデル氏もメディアに対し、「海洋調査については何も収穫がなかった」と述べています。
バラード氏は、タイタニック発見の裏にはまだ明かされていない事実があるとしながらも、「現時点では機密扱い」だとして、詳細について触れるのを避けました。
タイタニック号発見の裏にこんなエピソードがあったなんて驚きだね~
余った時間と資金でタイタニックが発見できたのは幸運だったのかもしれない……