1981年、メキシコシティにあるアラメダ公園での発掘調査で、1本の金の延べ棒が発見されました。
重さ1.93㎏、長さ26.2㎝、厚さ1.4㎝、幅5.4㎝の金の延べ棒がどこからやってきて、なぜそこに隠されていたのかは、39年間謎のままでした。
メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)は、アステカがスペインの侵略者を追い払ってから500年となる節目の年を記念して、金の延べ棒を化学的に分析しています。
39年前に見つかった金の延べ棒は、500年前のスペイン人がアステカから略奪した財宝で作られています。
金の延べ棒は人間の欲望を今に伝える歴史の証人
Photo: National Institute of Anthropology and History
スペインのコンキスタドール、エルナン・コルテスは1520年、アステカの王モクテスマ2世に取り入り征服の準備を着々と進めますが、貴族の突き上げにあったモクテスマ2世が態度を変えたため、少数の部下を残しやむなく首都テノチティトランを後にします。
その後再び軍勢をつれて戻ったコルテスは、テノチティトランに残してきた部下たちがアステカ人を虐殺していたことに気づきます。
突然の残虐な仕打ちに激怒したアステカ人はやってきたスペイン人に襲い掛かり、コルテスは命からがら来た道を引き返すことになりました。
後にスペインで「ノーチェ・トリステ(Noche Triste-悲しき夜)」と呼ばれるようになるこの事件は、スペイン側に1,000人以上の犠牲者を出すことになり、これをきっかけにコルテスはアステカを多大な武力で征服することを決意します。
アステカはノーチェ・トリステが起きた1年後、最後の王クアウテモックが捉えられて滅亡しました。
ノーチェ・トリステの際スペイン人は、テノチティトランに豊富に存在していた金銀財宝を持てるだけ持って逃亡しました。
1981年に発見された金の延べ棒はこの時に持ち出されたものの一つです。
メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)が蛍光X線を使って行った分析は、この金の延べ棒が1519年から1520年にかけて生成されたものであることを示しました。
これはスペイン人がアステカ人から逃げる際に、金の装飾品を溶かして延べ棒にしたことを意味しています。
INAHの考古学者レオナルド・ロペス・ルーハン氏は、ノーチェ・トリステは記憶に残る征服のエピソードの一つであるとし、「この金の延べ棒は、その歴史的な出来事の重要なパズルのピースです」と述べています。
コルテスをはじめとしたコンキスタドール(征服者)たちは、アステカにある金銀財宝を求め次々とやってきては、現地の人たちを殺し、略奪を繰り返しました。
ノーチェ・トリステは征服者側の視点で語られている悲劇です。
しかしこの裏には、自分たちの土地や文化、そして宝物を奪われたアステカの人々の犠牲があります。
メキシコシティで発見された金の延べ棒は、人間の飽くなき欲望が招いた歴史を現代に伝えています。
ノーチェ・トリステは悲劇として語られているけど、アステカ人の方がよっぽど酷い目にあってるんだよね
欲望はいつの時代も人間を狂わせる……
References: Phys.org