チチカカ湖の太陽の島はインカ帝国よりもずっと前からティワナクの中心地だった

歴史
Image: Teddy Seguin

アンデス山脈の標高の高い場所にあるチチカカ湖は、ペルーとボリビアとで分けられています。

そのボリビア側にある「太陽の島」と呼ばれる場所は、インカ帝国発祥の地として知られてきました。

インカは文字を残さなかったため今でも多くのことが謎のままです。

最近になって考古学者が太陽の島の周辺を調査したところ、この場所がインカの中心地になる前に、既に長い間人々の宗教的な儀式の場所であったことがわかってきました。

 

インカ帝国の前身ともいえる「ティワナク」は、紀元前200年頃から紀元1100年頃まで栄えた文明ですが、後のインカと同じく文字の文化を持たなかったため、どのようにして興りまた滅んでいったのかはよくわかっていません。

太陽の島周辺の湖底から見つかった数々の道具や装飾品は、ティワナク人がこの湖を神聖なものとして扱ってきた証拠です。

 

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太陽の島はティワナクにとって重要な儀式の場所

 

ペンシルベニア州立大学の人類学者、ホセ・カプリレス助教授を中心とした国際的な研究チームは、2013年に19日間をかけて、ボリビアの太陽の島の周辺を様々な手法を使って調査しました。

ソナーと水中3次元写真測量法を使いスキャンされた湖底からは、いくつかの金の製品と貝殻、ピューマ(プーマ)が装飾された香炉などが見つかりました。

発掘されたものはそれぞれの年代測定から、インカ帝国が栄えた時代よりも前のティワナクのものであることがわかりました。

太陽の島はインカ帝国との関連で語られますが、今回の発見は、この場所がインカよりも前の時代から人々にとって重要な場所であったことを示すものです。

 

太陽の島周辺で行われた湖底の調査 Image: Teddy Seguin

 

カプリレス助教授は、多くの人が太陽の島とインカを結びつけて考えると話します。

 

私たちの研究は、チチカカ湖で西暦500年から1100年にかけて発展したティワナク人が、この地域の神のために価値あるアイテムを提供した最初の人々だったことを示すものです。

 

湖に投げ込まれるものは、偶然に選ばれるわけではありません。

例えばピューマはティワナクにとって重要な宗教的シンボルでした。

また湖にはリャマもいけにえとして捧げられました。

リャマは高所に住む人たちにとっての重要な足であり、その毛皮は衣服に利用され、時には食料になることもありました。

湖底の堆積物には装飾品だけでなく、多くの魚や両生類、鳥などの骨と共に4頭の若いリャマの骨が発見されています。

 

調査チームは引き上げられた装飾品の外見から、これらが最初から湖に沈めるために作られたものだと推測しています。

湖底からは当時の船の錨が見つかっています。

これらの証拠は、ティワナク人がチチカカ湖に船を浮かべ、太陽の島付近での宗教的儀式を組織的に行っていたことを示唆するものです。

 

研究者たちは、太陽の島がティワナクにとって重要な場所であり、そこで行われた宗教儀式は地域の結束につながったと考えています。

 

太陽の島と周辺の湖一帯には、宗教の専門家が神聖な儀式のために集まりました。彼らがここで行った儀式は、ティワナクの社会が地域に根ざした宗教システムから、より野心的な地政学的、精神的な魅力を持つものへと移行していったことを示すものです。

 

カプリレス助教授は、組織化されたティワナクの宗教儀式は、チチカカ湖周辺に住む人たちを結束させ、政治的ヒエラルキーを特徴とする社会の形成につながった可能性が高いと付け加えました。

 


 

ティワナクは1300年近くの歴史を持ちながら紀元1150年頃に忽然と姿を消しました。

インカ帝国を始めとしたアンデスの古代文明は文字を残さなかったため、考古学者たちは当時の文化や社会を知るために懸命な発掘調査を行っています。

太陽の島の湖底で見つかった装飾品は、これまで当たり前だとされていた前提を覆す考古学的発見です。

太陽の島はインカ帝国発祥の地である前に、ティワナクの宗教的そして社会的中心地でした。

 


 

 

かなで
かなで

ティワナクもインカも文字を残していたら、発祥の地で揉めることもなかったのに

せつな
せつな

文字がなかったからこそ想像のしがいがあるというもの……

しぐれ
しぐれ

チチカカ湖がティワナクとインカの人たちにとって重要な湖だったってことは確かだね

 

 

References:Penn State

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